文学その7

『青空文庫』にある作品を『Google Translate』で英訳してみました。

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海上の道:柳田國男(1002-1020)/3194

それにもかかわらず元の名はなお久しく行われていたのだから、法規の守られなかったことも察せられる。 Nevertheless, since the original name was still in use for a long time, it is also possible that the law was not observed. 伊勢の御師などは最…

海上の道:柳田國男(981-1001)/3194

前年改元の都の沙汰が、辺土に伝わって行った状況に照し合わせると、ここに二年とあるが殊に真実性をもつように受け取られる。 In light of the situation where the capital of the previous year's capital was sent to the land, it has been received fo…

海上の道:柳田國男(924-980)/3194

ともへには伊勢と春日 Ise and Kasuga to both 中は鹿島のおやしろ Inside is Kashima's play ありがたや息栖おもりは Thank you very much こがね社壇うてかゞやく Kogane company platform うしろにはひよき(清き?) Hiyoki to the back (clean?) 神たち…

海上の道:柳田國男(898-923)/3194

逆潮に妨げられて上陸はし得なかったが、かえってそのためにアガリヒラ島の解釈は、大きな影響を受けたかと思われる。 I could not land by being blocked by the reverse tide, but it seems that the interpretation of the island of Agarihira was there…

海上の道:柳田國男(876-897)/3194

早い話が南の島々の後生観などはその一例で、ここには仏法の指導力が存外に弱かったために、新らしい観念は起こらず、古くからあったものは消え放題で、あの世という言葉は有りながら、それはこの世の中にあると、いうような考えかたも行われている。 The ea…

海上の道:柳田國男(851-875)/3194

果して最初から、特に択ばれた者のみがニルヤに往ったのか、或いは前には誰も彼も、死ねばみな行くと考えられていた時代があるのか。 In the end, from the beginning, only the ones who were selected in particular went to Nirya, or was there a time w…

海上の道:柳田國男(831-850)/3194

少彦名神が国土経営の功を終えて、あの世界に赴いて永く止住なされたことは、「神功紀」の寿宴の御歌にも見えて、よほど素尊の根堅洲国と近く、且つは人界との往来も考えられるが、一方にはまた海上の危難を恨み憤って、浪の秀を踏んで常世郷へ、往ってしま…

海上の道:柳田國男(806-830)/3194

その結果として、最初のニルヤは北にあり、中世の終りに近くなって東の方へ変ったという、意外な結論が導かれたけれども、私などはどうもその証拠を見出すことができない。 As a result, a surprising conclusion was drawn that the first Niriya was in th…

海上の道:柳田國男(786-805)/3194

ニルヤ・カナヤが二つの別天地でないことは、南北多くの実例がこれを証明するにもかかわらず、陰陽二極の学説が流行すると、うっかりと是を天神海神の併立と解し、他の島々ではまた山神海神の二柱として、祭の日をさえ異にした例もある。 Although Nirya Kan…

海上の道:柳田國男(764-785)/3194

オボツはもとニルヤのオブ、すなわちこの霊域の最も浄い奥地と感じたからの名だったかもしれぬ。 Obotz may have been the name of the former Niriya of Obi, that is, the most pure inland of this sanctuary. もしそうだとすれば、是が新たな神観の移行…

海上の道:柳田國男(741-763)/3194

神と人の境目が南の島々の信仰ではよほど特殊であり、それが気をつけて見ると本州の北部にも、幽かながら痕跡を留めている。 The boundary between God and man is so special in the faith of the southern islands, and if you look at it carefully, it k…

海上の道:柳田國男(713-740)/3194

是は暦法の確立とともに、朝家の祭祀が次第に公事化して行く中でも、なお予期せられざる神の来臨が、稀ならずあったことを意味し、いわば信仰の最も活気ある部分であったように思われる。 This means that even with the establishment of the calendar, eve…

海上の道:柳田國男(691-712)/3194

南の島々の父神は日輪であるが、その数ある所生の中に、生まれそこないのふさわぬ子があって、災いを人の世に及ぼす故に、小舟に載せて、これを大海に流すという点が、わが神代史の蛭子説話と、偶然の一致ではないように思われる。 The Fathers of the South…

海上の道:柳田國男(669-690)/3194

もちろん穀物伝来の経路を暗示するものとは言えないが、古人の考えかたの大体に同じ方向へ傾いていた点に、自分などは特に深い興味を惹かれるのである。 Of course, I can not say that it implies the route of grain transmission, but I am particularly …

海上の道:柳田國男(644-668)/3194

年経てめぐり逢う隣人のなつかしさというものは、学問の上でもなお無限の感激を与えずにはいない。 The nostalgic nature of the neighbours, who are enthused over the years, has to give unlimited excitement even on study. そういう中でも、ことに我…