文学その7

『青空文庫』にある作品を『Google Translate』で英訳してみました。

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母の手毬歌:柳田國男(1183-1209)/1539

そこへ砂糖がはいったので、さっそくとそれを利用し、今いう干菓子というものをいろいろと考え出して売ったが、まだしばらくのあいだ、餅団子の類はお菓子のうちには入れなかった。 Since sugar got into it, I immediately used it to come up with various…

母の手毬歌:柳田國男(1158-1182)/1539

しかしそのころを一つの境として、甘いという味がおいおいと普及することになったのは、やはりお茶というものの影響であろう。 However, at that time, the sweet taste became popular because of the influence of tea. 子どもはただ味をおぼえたら忘れぬ…

母の手毬歌:柳田國男(1129-1157)/1539

もとは家々の間食もみなケンズイだったのが、のちのちこういう見舞品に力を入れる風習が起こって、なにか特別のものと見るようになったことは、今でもわざわざ家建てケンズイなどといっている地方があるのを見てもわかる。 Originally, all the snacks at th…

母の手毬歌:柳田國男(1107-1128)/1539

これは箸間と書き、箸で食べる食事のあいだのものだから、そういうのだと説明してくれる人もあるが、これはこじつけで、じっさいは昼間のマと同じく、ただ中間の食事というに過ぎぬことは、村によっては小をつけてコバシマ、又はコバサマという人のあるのを…

母の手毬歌:柳田國男(1085-1106)/1539

それで家々の男女のあつまって働く日は、ユイ組の助け合いはない場合にも、やはり大田植の日と似たような、臨時の食物をもってねぎらう風習が、だんだんと拡張して行ったのである。 Therefore, on the days when men and women gathered together at home, e…

母の手毬歌:柳田國男(1059-1084)/1539

中国地方ではこれをオナリド、関東から東北一帯では昼間持ちといっている。 In the Chugoku region, this is called Onarido, and in the Kanto and Tohoku regions, it is said to last in the daytime. オナリドは煮焚き調理をする人ということであり、昼…

母の手毬歌:柳田國男(1037-1058)/1539

宿屋は今でも宿泊者をお客といって、人を招いたときと同じような饗応をするが、そういう設備のまったくなかった時代でも、えらい人の一行がある土地を通過するということは、附近の住民にとっては大へんなさわぎであった。 The inn still treats guests as g…

母の手毬歌:柳田國男(1013-1036)/1539

もっともこれによって食料の倹約などはできず、したがってまた栄養の低下ということもなかった。 However, this did not save food, and therefore did not reduce nutrition. こんなことのできる人は、むしろ大ていは大食いであった。 Most of the people w…

母の手毬歌:柳田國男(988-1012)/1539

これから後もやはりわけて考えるほうがつごうがよいと思う。 I think it's better to think separately from now on. そうしてこの家の外で食べる分をべつにすると、以前はたしかに二|食であり、近ごろはまたいろいろの新らしい理由から、三|食の人がしだ…

母の手毬歌:柳田國男(958-987)/1539

さあ入用だという時になって、あわててたずねまわってもそう急にはわからない。 When it comes time to need it, I don't know so suddenly even if I ask in a hurry. 二、お昼とは何か What is lunch だから若い人々は、これから必要がおこるであろうと思…

母の手毬歌:柳田國男(933-957)/1539

一つには丘陵のあいだが狭くて風の道がとおり、また冬分の風がつよいからとも言われていたが、それが近年になってから、回数はもとと同じでも、焼ける家かずがめっきりと少なくなったのは、まったく消防の技術の進みといってよい。 For one thing, it was sa…

母の手毬歌:柳田國男(909-932)/1539

あんなみすぼらしいものはないと、わたしなどは思っているのだが、それがこの東京都の、もっとも本式な屋根であった時代も一度はあり、さらにその一つ前には、これすらめずらしかった時代さえあるのである。 I don't think there is such a shabby thing, bu…

母の手毬歌:柳田國男(885-908)/1539

屋根の形も四方葺きでなく、切妻と称して前後は壁になったものが多い。 The shape of the roof is not four-sided, and many of them are called gables and have walls at the front and back. こういう形の家がかず多くあつまって、建っていた時代の風景は…

母の手毬歌:柳田國男(859-884)/1539

すなわち彼らもまた農民の片商売なのだが、数をかけているのでかんたんな技術をおぼえ、また道具をそろえていて、ふつうの人よりは仕事がはやく、手ぎわもよく葺きあげたのである。 In other words, they are also farmers' one-sided businesses, but becau…

母の手毬歌:柳田國男(831-858)/1539

壁をぬる人をシャカン(左官)というのは、その補佐役ということであった。 The person who paints the wall was called Shakan (plasterer) as an assistant. それで地方によっては屋根葺きのことを、左官と呼ぶところもあるわけである。 Therefore, in som…