文学その7

『青空文庫』にある作品を『Google Translate』で英訳してみました。

年中行事覚書:柳田國男(1282-1311)/2401

とにかくここに一つの改定が行われたにしても、その改定は十分に敬虔なものであった。 Anyway, even if one revision was made here, the revision was sufficiently pious. それがいつともなく奇を競い変化を愛するようになって、ついには今日の如くただ大…

年中行事覚書:柳田國男(1249-1281)/2401

また七夕の日に青竹を立てるのはこういういわれだとこの土地ではいっている。 In addition, it is said in this land that it is said that green bamboo is erected on Tanabata day. これただ一つを聴いては合点のゆかぬことが、この昔話の中には幾つもあ…

年中行事覚書:柳田國男(1214-1248)/2401

しかも他の地方の数多くの精霊舟の中には、人物を主とし食物に重きをおき、白昼全く火を用いぬものも決して稀でない。 Moreover, among the many spirit boats in other regions, it is not uncommon for people to focus on food and not to use fire at al…

年中行事覚書:柳田國男(1193-1213)/2401

すなわち本来は盆を正月同様の悦ばしい祝いの日とするために、前以て無縁の気味の悪い霊だけを、なだめ賺して立退かせてさえおけば、後は心安く落付いて祭をすることが出来たのだけれども、余り熱心に多くの死者を供養するようになると、もう一度その日を過…

年中行事覚書:柳田國男(1168-1192)/2401

これらは何れも慎重に境を浄め、あらゆる目に見えぬ障害を除却しようとした、久しい仕来りの反映に過ぎなかったかも知れぬが、それにした所で何かその前途に大きな不安が想像せられなければ、かくまでの煩わしい手続きは尽さなかった筈である。 All of these…

年中行事覚書:柳田國男(1130-1167)/2401

広く保存せられているのは鳥追いと土鼠打ちで、これも正月の鳥獣の少ない時に予行するために、次第に遊戯化して子供の役となり、江戸では非人の娘などがその歌をうたって門付けをした。 Widely preserved are bird chasing and rat-beating, which also grad…

年中行事覚書:柳田國男(1104-1129)/2401

この点が将に私の予め答えんとする所である。 This is the point that I will answer in advance to the general. 睡くなればいつでも睡られる赤ん坊や閑人ならば、睡は悪でないのみか、また快楽でさえあり得るのだが、以前はそういう人が少なく、また睡るべ…

年中行事覚書:柳田國男(1074-1103)/2401

この部分は寛政の頃にはイヤイヤイヤヨとなっていた。 This part was unpleasant at the time of Kansei. そのイヤイヤだけが何の事かわからぬと言った人もあるが、残りの文句だっても、実はよく判っていなかったのである。 Some people said that they didn…

年中行事覚書:柳田國男(1043-1073)/2401

ことに電線が邪魔になる位な巨大な紙張りの人形を作り、それを日中から担ぎまわるなどは秋田|能代にも新潟にも宇都宮にもないことである。 In particular, it is not in Akita | Noshiro, Niigata, or Utsunomiya that a huge paper-covered doll that the …

年中行事覚書:柳田國男(1016-1042)/2401

ネブタなんがれろ、豆の葉とんまれ Nebuta, Bean Leaf Tonmare というのがあった(郷土研究七巻七号)。 There was (Local Studies Vol. 7, No. 7). 以前はこの際にイボタの木の葉を以て、頭から眼顔胴を擦り、それを川に流したという説もあるが(同上六巻二…

年中行事覚書:柳田國男(983-1015)/2401

この土地のみの言伝えでは、恐らく十分なる説明が得られぬことと思う。 I think that the wording of this land alone probably does not provide a sufficient explanation. 三 three さて眼を転じてさらに日本海側の、北寄りの地方を見て行くと、ここには…

年中行事覚書:柳田國男(944-982)/2401

南安曇郡へ行くとネムリ洗いといって、七日の朝は四つ前に水浴びをし、あるいはまは七回浴びるともいった。 When I went to Minamiazumi-gun, I said that I was washing Nemuri, and on the morning of the 7th, I took a bath four times before, or even …

年中行事覚書:柳田國男(909-943)/2401

それが正しかったか否かは、私たち歴史を究むる者の問うところではない。 Whether it was correct or not is not a question for those of us who study history. ただ今一段とかつてあった事実を精確にしようと念ずるのみである。 I'm just trying to make …

年中行事覚書:柳田國男(888-908)/2401

ただそういう中で山梨県の山村のように旧の四月のある日を以て、作の神の降りたまう日としているのは、注意せずにはいられない例外である。 However, it is an exception that cannot be helped to be careful that the day when the god of the work descen…

年中行事覚書:柳田國男(864-887)/2401

何でもない逸話のように笑って語ることで、私ばかりが早くから気をつけていることは、大昔弘法大師が天竺から、稲の穂をそっと持ってござった時に、後々稲荷に祭ってやるからという約束をして、狐にその種子を芦原の中に隠させた。 By laughing and telling …

年中行事覚書:柳田國男(841-863)/2401

とにかくにこの名は珍しくまた新しく、古い日本語の訛って伝わっているものとはどうしても解しにくいのであった。 Anyway, this name was unusual and new, and it was hard to understand what was transmitted with the old Japanese accent. そこでまたい…

年中行事覚書:柳田國男(818-840)/2401

私の仕事なども取掛りが遅かった故に、間に合うかどうかは甚だ心もとないが、一人で為し遂げられぬなら手分けをしてなりとも、もう少し前の方へ推し進めておきたく、それにはまた時機もあり持場の適不適もあるかと思うので、ここに讃岐の同志の鹿島立ちの日…

年中行事覚書:柳田國男(792-817)/2401

豊後国東の海上にある姫島にも大帯八幡の社がある。 Himeshima, which is located on the sea in the eastern part of Bungo Province, also has a shrine of Oobi Hachiman. 以前はこれを大虎八幡と呼んでいた。 Previously this was called Daitora Hachim…

年中行事覚書:柳田國男(772-791)/2401

にこの遺風あり、名づけて藤の花立というと。 There is this relic, and the name is Fuji no Hanatate. この話の中で注意すべきことは、第一には釈迦と言わずして薬師と言ったことである。 The first thing to note in this story is that he was a pharmac…

年中行事覚書:柳田國男(747-771)/2401

なお五月と七月との人形送りの風習などと、追々比較を進めて見たら、心付くことが多いであろう。 If you compare it with the custom of sending dolls between May and July, you will often notice it. 卯月八日 Uzuki 8th 折口氏の髯籠の話の中に「卯月八…

年中行事覚書:柳田國男(727-746)/2401

これは秋の末に子供たちの手に持って村内をあるく神で、この祭がまた一種のオコナイであった。 This was a god who walked around the village in the hands of children at the end of autumn, and this festival was another kind of Okonai. それを土地の…

年中行事覚書:柳田國男(701-726)/2401

始めて私たちが近江のオコナイの存在を知ったのは、雑誌「民族と歴史」八巻三号(大正十一年九月)に、近藤謙吉氏の小報告が出たときであった。 The first time we learned of the existence of Omi's Okonai was when Kenkichi Kondo's small report appear…

年中行事覚書:柳田國男(669-700)/2401

この日の名称にもまたいろいろの変化がある。 There are various changes in the name of this day as well. 薩摩の甑島では「あめがた節供」といい、この日は必ず飴を食う習わしがある。 On Koshiki Island in Satsuma, it is called "Amegata Sekku", and …

年中行事覚書:柳田國男(647-668)/2401

前年私は対馬の西北海岸づたいに、この盛んな磯遊びを見てあるいたが、女や子供が幾十組ともなく、手に手に重箱を下げてよい場所を見つけてあるく光景は、なごやかなものであった。 The previous year, I was watching this thriving beach play on the nort…

年中行事覚書:柳田國男(611-646)/2401

二月九日は嫁が親里へ還って、一日ゆっくりと遊んで来る日で、家ではおまけに御馳走をして出して遣るのだが、土地ではこの日をオカタボンダシと呼んでいる。 February 9th is the day when the bride returns to her hometown and plays slowly for a day. A…

年中行事覚書:柳田國男(581-610)/2401

少なくともこういう習俗は他にも分布していて、島に発生したものでないことだけは確かである。 At least these customs are distributed elsewhere, and it is certain that they did not occur on the island. 初三十日(正月|晦日) First thirty days (N…

年中行事覚書:柳田國男(552-580)/2401

あるいはこの日ひもじい思いをすると、一年中食に飢えるという処も四国などにあるのを見ると、むしろ粗末なものでも思い切って、飽食すべき日ではなかったかと思う。 Or, if you think about it on this day, and see that there are places in Shikoku wher…

年中行事覚書:柳田國男(515-551)/2401

正月元日というたった一つの例を除けば、都会で設け出した年中行事などは日本にはない。 Except for one example, New Year's Day, there are no annual events in Japan. そうした都会で始まった生活を真似するのが、すなわち文化だと思うような考え方は、…

年中行事覚書:柳田國男(489-514)/2401

大きな神社の祭日は、近年神職たちの手で改定したものが多いけれども、気をつけて見てゆくと、最初はほとんど皆民間の年中行事の日であった。 Many of the holidays of large shrines have been revised by priests in recent years, but if you look carefu…

年中行事覚書:柳田國男(463-488)/2401

土地によってその慎しみの箇条はちがうが、大体に毎日の常の業務から遠ざかり、何もしないで遊んでおればよかったので、結果に於ては休息と同じ場合が多く、この義務は守るに難くなかった。 Depending on the land, the clause of modesty is different, but…